小説の書き方

【小説の書き方】今日から使える地の文を良くするポイント

ジェニファー

う……なんか、地の文が気持ち悪くなる……。
自分で読んでもダメだって思うけど、何を改善したら良いのか分からない。
『ここに気を付けよう』というのがあったらなあ。
あと、なんで気持ち悪くなるのか一言で説明ってできないのかな。



そんなニーズに一報を。



地の文って、書き方が難しいですよね。特に小説を書き始めたばかりの頃は、どうして良いのか分からなくて戸惑ってしまう方も多いと思います。

小説の地の文をうまく書くためには、『視点』が必要なんです。今回は、そんな事について説明したいなと。

舞台脚本から入って、物語をかれこれ20年以上書いてます。なんだかんだ知識は増えました。これから小説を書きたいという方に、有益な情報を発信します。


今地の文がうまく書けなくて悩んでいる方、どうもセリフばかりの小説になってしまうという方は、読んで頂けると良いことがあるかもしれません。

それでは、さっそく本編に進みましょう。

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【小説の書き方】今日から使える地の文を良くするポイント

まず、地の文がなんとなく気持ち悪くなってしまう理由について。

色々意見はあるでしょうが、『視点が合っていない』というパターンが最も多く、即効性があって修正も楽なので、今回はこれをメインに書いていきます。


視点が合っていない。これはつまり、どういう事なんでしょうか。


そもそも小説というのは『文章』なので、映画や演劇などとは違い、実際に何かが起こっている訳ではありません。

つまり、読者にとってリアルに体験できる内容というのはどこにも無く、記述された文章を読むことで間接的に、「ああ、これはこういう内容なんだな」と想像しているんです。

地の文が気持ち悪くなってしまうのは、要するにこの、『読者が想像している世界』の出来事と、『地の文で語られている世界』とのあいだに矛盾が生じているため、起こっています。

この前提条件がとても大事です。『視点』を中心に見ていくことで、『地の文に違和感がある』という問題の多くを解決する事ができます。


三人称視点でも似たような事が起こるのですが、比較的一人称視点の方がブレやすいので、ここでは分かりやすく一人称で見ていきましょう。

主人公が知らないはずの事を語らない

わりと初期の段階でやってしまいがちな問題として、これがあります。

主人公視点で見てみると、本来『知っていてはいけない』事が書かれていると、地の文に違和感を覚える事があります。

 その時俺は、まだ病室のベッドにいた。

 どうにか病室を抜け出してやろうと思ったが、昼も夜も看護師がつきっきりで、結局三日経っても未だに出ることができていない。

 今も出入口の前に看護師が立っていて、椅子に座ってスマートフォンを弄り、やたらとニヤニヤしている。

 一体、病院に何を指示されているのか知らないが、トイレにまで付いて来るっていうのはどういう事なんだ。

 看護師は昨日彼氏に貰った指輪の返答をスマホに打ち込んでいるが、そんな事をするんだったら休憩室か何かでやれよと言いたい。


……と、ここまで読んで、「ん? 彼氏と指輪の話ってどこで出てきたんだ?」となったりします。

もちろん手前の文章で登場している話なら推測もできるでしょうが、突然出てくると読者の頭にはてなマークが浮かびます。

この場合は病室のベッドにいるので、どれだけ離れているかは分かりませんが、出入口の看護師が持っているスマホの中を見られる可能性は低そうですよね。

そのため、「何か会話があったのかな?」「2人は仲が良い?」といった誤解を与えてしまうんです。


これは、本来登場人物の視点で書かなければいけないことを、作者視点で書いてしまったがために起こる問題です。

登場人物が知っている事と、作者が書きたい事を混同しないように注意しましょう。

断定してはいけないはずの事を断定しない

これも同じような問題ではあるのですが、別のケースとして紹介します。

たとえ登場人物が知っている事であっても、本来その人の預かり知らぬ部分を勝手に断定してしまうと、読者は置いていかれてしまいます。

 あれは……初代国王が以降三代にまで使ったと言われる、伝説の剣だ。

 民衆が騒ぎ始めた。勇者ヨクアルに渡ったはずの伝説の剣が何故ここに、と思っているんだろうが、まったく落ち着きが無いったらありゃしない。

 昨日、俺の仲間に話して、伝説の剣を取ってくるように話しておいたのだ。

 騒ぐほどの事ではないが、まあ俺が伝説の剣の所在を知っている事すら誰も知らなかったのだから、仕方がないことだ。


この場合、『民衆が本当にそう思っているかどうか』は言うまでもなく、不明です。

これは特に一人称で起きやすい問題で、『仮定』と『事実』が一緒になってしまっているんですよね。

一応『だろうが』と不確定な要素を付け足してはみたものの、ほとんど断定になってしまっているので、不自然さが増しています。


文章というのは想像で書くので、こういった事も起きてしまいがちなのですが、主人公の『想像』が『現実』と一緒に語られてしまうと、一体何が真実なのか分からなくなってしまいます。

あくまで主人公は小説の中に生きている存在なわけですから、神の視点で語ってしまうと違和感を覚える事に注意しましょう。

人の思考を読むエスパーにならない

最後は、『主人公が勝手に人の心を読んでしまう』問題です。

一人称は主人公の視点で語るお話ですが、稀に主人公以外の心境が混ざってしまい、まるでエスパーのようになってしまう事があります。

これをそのまま出してしまうと、読者は「あれ? 今、誰の話だっけ?」と疑問を覚える事になります。

 下校時刻になって、俺は黒板を消している森さんを見た。

 何かを思い詰めているようで、夕日に照らされる彼女の表情は少し暗い。森さんは、昨日の委員会がうまく行かなかった事を悩んでいた。

 やはり、文化祭の実行委員なんて進んでなりたいと思う人はいない。俺だって、特別やりたいとは思わない。

 でも誰かが手を挙げなければ、ずっと決まらないままだ。


森さんが思い詰めている様子を眺める所までは良いですが、『昨日の委員会が』なんて始まってしまうと、違和感を覚えますよね。

こういった場合は、せめて『悩んでいるようだ』と、あくまで主人公がそのように想像しているだけだと書くようにしましょう。

小説の地の文、違和感は『視点の違い』から来る

さて、ここまでサンプルケースを紹介していきましたが、これらの多くが『視点の違い』による問題であることが分かりますよね。

小説を考える時は、作者視点では全ての事が見えています。しかし書く時は、必ず何か、情報を絞らないと書く事ができません。

こういった制限があるため、地の文というのは崩れやすくなってしまうんです。

サンプルケースも大事なのですが、これらを根本的に解決する方法として、『視点を意識する』という事を練習すると良いかと思います。

三人称の場合でも同様で、『視点』を『カメラ』に置き換えて見てみましょう。

『カメラ』にたとえて地の文を見る

一人称の場合は、主人公の中にカメラがあるイメージ。

三人称の場合は、どこかのスポットにカメラを当てるイメージを持ってください。

そして、あくまでそのカメラ内で起きている事だけを、地の文で書くようにすること。


ここを意識するだけで、かなり地の文というのは様子が変わって来ます。

『カメラを意識していない例』

 黒板が前後の二枚、机と椅子が二十席、黒板消しが二個、教壇がひとつの教室があった。

 校庭には、日も傾いてきたのに、まだ練習を続ける運動部員の姿。彼らは大会が近いのか、汗を流している。

 教室に入ってきた男子学生が、自分の席に座った。何かを考えているようで、ぼんやりと校庭を眺める。

 女学生が遅れて入ってきて、聞いた。

「課題、もうやった?」


このように、視点があっちこっちに入り乱れてしまうと、読むのはとても難しくなります。

地の文を書く時は、できるだけカメラがどこを向いているのか、どう視点が移り変わっているのかが分かるように書きましょう。

『カメラを意識している例』

 教室に、男子学生が入ってきた。彼は教室の扉を閉めると、教室を見回した。

 綺麗に拭かれた黒板。黒板消しも二つ、端に揃えられている。誰もいない教壇に、空っぽの机と椅子が二十席。

 どうやら、下校時刻を過ぎているようだ。

 それを確認して、男子学生は自分の席へと向かった。何かを考えているようで、席に座ると、ぼんやりと校庭を眺める。

 校庭には、日も傾いてきたのに、まだ練習を続ける運動部員の姿。彼らは大会が近いのか、汗を流している。

 ふと、閉めたはずの扉が開く音がした。

 男子学生が目を向けると、そこには女学生がいた。

「課題、もうやった?」


……と、こんな感じで、カメラが一体何に焦点を当てているのか、その移動が分かるように地の文を書いていくことです。

これは、書く側にとっては些細な問題で、読む側の人も気にしている訳ではありません。

だから、『読みにくい』という感想が付くわけではないのですが、読者は勘違いを起こしやすくなります。


これを意識すると、地の文は大きく変わって来るように思います。

場面が切り替わることを明確にする

同じくらい大切な事として、『場面の切り替わりを明確に』という要素があります。

カメラを使って撮影する時は、どこかで場面転換をする事がありますよね。

それと同じように、場面転換は明確にしてあげないと、読者の混乱を誘ってしまう事になります。

「それじゃあ、また連絡するから」

 そう言って洋介は、自転車を漕いで去って行った。

「ああ、また」

 健一郎はそう言ったが、洋介の耳には届いていないようだった。ただ、健一郎の口から呟くような声が飛び出ただけだ。

 ファミリーレストランで、真子と愛美が話していた。何と何を混ぜたのか、得体の知れない色に染まったドリンクを一口飲んで、真子が言った。


このようなシチュエーションでは、健一郎と洋介のシーンから、ファミリーレストランで語る真子と愛美のシーンに切り替わっています。

『一方その頃』のような形で文章を使って切り替わりを演出するか、または行間を空けることで切り替わりを意識させる方法があります。

最近では、記号を間に挟むというのも主流になりつつありますね。


これらは、『カメラ』つまり視点を意識する事から始まります。

まずはひとつの視点で地の文を書く事を意識し、それから切り替わりに目を向けるようにすると、失敗が少ないように思います。

自分のルールが守れていれば、地の文は気持ち悪くない

よくある話で、「文章に『☆』などの記号が入っているとダメ」「『○○サイド』と冒頭に入っていると気持ち悪い」といったような話があります。

様々な意見はありますが、私としては「気にしなくて良いよ」と言いたいです。

というのも、何故こういった意見が出るかというと、『今まで自分が読んできた小説には登場しなかった事なので、気持ちが悪い、非常識だ』という価値観の事が多いんですよね。


確かに、プロがやっていない事をやるのは、なんとなく悪いことのような気がしてしまいます。

でも、時代を見ると小説というのはどんどん形を変えているもので、一概にそれが悪いとは言い切れないと思います。

何故なら、皆が使い出すとそういった事は、文句を言われなくなるからです。


その一方で、読者を混乱させてしまう書き方というのは、いつの時代も受け入れられないものです。

何を指標にするかを最終的に決めるのは自分ですから、せめて読者に優しい形で作品を書きたいものですね。

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