小説の書き方

【小説の書き方】三点リーダはなぜ2個繋げて書かなければいけないか

ジェニファー

素朴な疑問なんだけど、なんで沈黙を表現する時には三点リーダ(…)を2個繋げて使わなければいけないの?
一個とか、中黒(・)ではどうしてだめなの?
ダッシュ(―)もあるけど、それについても教えて欲しい。




そんな疑問に答えます。



小説を書く人の中には、小説の作法について調べた時に、『沈黙を表現する時には三点リーダ(…)を2個繋げて使いましょう』と書かれているのを見て、「……なんで?」と思う方もいるようです。

それがルールだからと言ってしまえばそれまでなのですが、なんで良いのか理由がよく分からないと、もやもやしてしまいますよね。


今回の記事では、『なぜ三点リーダを2個繋げて書かなければいけないか』について解説します。

私はWeb小説を始めて7年目で、ひょんなことから出版社に声をかけられる所までは経験しました。(色々あって、本は出ませんでしたが)。

そんな経験をもとに、今は素朴な疑問を抱える初心者の方に向けて有益な記事を書くという目標でブログを続けています。

後半ではダッシュ(―)についても触れていきますので、よろしければこの先を読んでみて頂ければなと。

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【小説の書き方】三点リーダはなぜ2個繋げて書かなければいけないか

さて、いきなり結論から入ってしまうと、三点リーダを2個繋げて書かなければいけない理由は、『それが常識とされているから』です。

とお答えするのは少し申し訳なくも思うのですが、そもそも『書かなければいけない理由』なんてないんですよね。


「三点リーダを使わなければいけない」「中黒(・)を使ってはいけない」といった、日本全国誰にでも通用する明確な決まりがある訳ではありません。

それが表現として意味を持つものであれば、使っても別にNGという訳ではないのです。


私も昔は三点リーダを使わずに小説を書いていて、ある時まるでそれが犯罪者であるかのように、身近な友人から強い指摘を受けました。

もしこういう事があったなら、別に使う事そのものは悪ではないので、気にしないで頂きたいなと思います。


でも、できれば三点リーダを2個繋げて使った方が良いというのは、ひとつの事実です。

「良いって言ったり悪いって言ったり、どっちなんだよ」と思う方が居ると思いますので補足しておくと、『三点リーダ以外を使うのは悪くないが、できれば三点リーダを使った方がよい』ということです。

なぜそうなるのか、詳しく説明していきます。

常識に従うことのメリット

さて、世の中には常識というものがあります。

思い返せば、色々な常識がありますよね。お茶碗と汁椀で言ったら、ご飯は左に置くとか。

初めて会った人には、挨拶しなければいけないとかです。


これらの中には、『歴史的にそういった決まりが使われてきた』とか、『最善に見えるから』といった、ある意味では抽象的な価値観に基づいているものが隠れています。

全部がそうではなく、もちろん最善なことに理由があるものもあります。

重要なのは、必ずしも最善だという事が実証されたわけではないものも含む、ということです。


そこで常識に従うことのメリットは、『常識を大切にする人たちの反感を受けない』ということです。

古来からの風習や、一般常識的なものを大切にする人というのは必ず一定数います。

彼らは歴史に従うことにとても重きを置いており、それに逆らう人が居ることに強い違和感を持ったり、振り切っている場合は憤りでさえも感じたり、ということがあるんです。

そういった一定数の人の中には、たとえば『三点リーダを中黒3つで書いただけで即読まない』という事をする方もいます。

分け隔てなく、問題なく自分の作品を読んでもらえる。これは明らかにメリットです。

だから、『どちらかと言えば従った方が良い』のです。読者数が増えますから。

常識に従うことのデメリット

対して小説を書く上での決まりごとは、『表現の自由を奪う』というデメリットがあります。


たとえば、別に読点の先に鉤括弧の終わり(」)が来る事は問題ないものです。

昭和21年、文部省教科書局国語調査室が発行した『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕 (案)』では、マル(句点)は『カギの中でも文の終止には打つ』と書いてあったりします。

しかし、出版業界では『カギの中では文の終止にマルを打たない』のが主流です。

こういった『常識』によって、本来書きたかった文章のスタイルで書けなくなる事があります。


私はカギの中でも句点を打ちたい派だったので、少し慣れるのに時間を要しました。

中には、三点リーダではなく中黒を使いたいという方もいるのではないでしょうか。

文章にオリジナリティを出したいがために、自分なりの表現として書くケースというのは、特に初心者の時ほどありがちです。


でもそれは、『一定数の人に受け入れられない』という側面を抱えているわけです。

『小説作法・ルール』というものが世の中に出回っているので、「作法すら調べられない奴」と思われ、読者が離れて行ってしまう。

これを天秤にかけたとき、それでも自分なりの手法で書きたければ書く! という形になるでしょうか。

なぜ三点リーダは2つ繋げて書くようになったのか

さて、文章作法に従うメリット・デメリットについては、説明できたかと思います。

ここまで読んで、「では、どうして三点リーダは2つ繋げて書くようになったのか」が気になる方もいるのではないでしょうか。


実はこれ、いくつか説があります。


すごいですよね。今となっては『三点リーダは2個セットで使うのが常識』とまで言われているのに、実は歴史を振り返った時、確実に「こうするべきだ」と書かれているものはないんです。

色々な『三点リーダは2個繋げて書く』由来

先ほどの『くぎり符号の使い方』なんですが、ここにテンテンという項目があり、使用例に『……』と6個の点が使われています。

ここから広まった、という説があります。

テンテンは、ナカセンと同じく、話頭をかはすときや言いさしてやめる場合などに用いる。
テンテンは引用文の省略(上略・中略・下略)を示す。
テンセンは会話で無言を示す。
テンセンはつなぎに用ひる。

「それからね、……いやいや、もうなんにも申し上げますまい。」
「それもさうだけれど。……」
そこで上述のごとき結果になるのである。……
「ごめんネ、健ちゃん。」「…………」
第一章序説…………一頁

出典:くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)


また、誤植しないために2個繋げて表現するようになったという出版業界の慣習だったとされる説。

活版印刷時代、ダッシュ(―)が2個繋げた形で版が作られていたために、分割は禁止されていた。

そのため、三点リーダもその制約を受けて2個で使われた、という説があります。


いずれにしても、由来からするとはっきりとはしていないので、「三点リーダは2個繋げて書くのが常識」と高らかに言うというのは、実は少し違和感を覚える所でもあります。

媒体による様々な制約

前項で『マルはカギの中でも文の終止に打つ・打たない』という話もあったのですが、これは『新聞』という媒体が文字数の制限を強く受けるものだったからです。

つまり、鉤括弧で終わりが既に分かっているのに、あえて句点を打って、文字スペースを狭めることはないと考えられていました。

実は、同じ理由で鉤括弧の終わり(」)すらも省略された媒体があります。


それは、ファミコンなどの今となってはレトロなゲーム達です。

ファミコンは容量節約の問題がかなり厳しく、『ドラゴンクエスト1』などはたったの64KBで作られていました。

そうするとひらがなが多くなるので、『読点は使わない』『鉤括弧は終わりを入れない』という、独自のルールが生まれました。


このように、文章のルールというのは媒体と時代によって、様々な形に姿を変えます。

常識は、時と場合によって姿を変えるということですね。

今、小説を三点リーダで書いていない場合

さて、三点リーダについての解説はこんなところです。


最後に、もし今、自分で小説を書いていて、作法を知らずに三点リーダではないもので沈黙を表現しているなら。

私は、直さなくて良いと思います。特に、処女作が多いでしょうから。


自分が書いた小説の修正というのは強いエネルギーを必要とするので、まだ小説を書き続ける体力が養われていない最初の方で修正に手を出すと、小説が完成しないんですよ。

作品って、『自分の手で完成させた』という経験が、すさまじい成長を生み出します。

これは、一作でも小説を完結させた事がある人なら、ほとんどの方に共感して頂けるはず。

その貴重な機会を、『三点リーダに直さないといけない』なんていうちっぽけな理由のためだけに捨てるというのは非常にもったいないです。

せめて、完結させてから修正しましょう。


諸説ありますが、私としては別に、あえて三点リーダを使わなくても良いと考えています。別に三点リーダじゃなくても読めますし。

自分で書く時は三点リーダ2倍ルールに従っていますが、嫌う人が一定数居るから、というだけの理由です。


面白い小説を書かなければ、どうせ三点リーダの作法なんて守っても読んでもらえないわけです。

まずは、自分なりの『面白い小説』を目指してみませんか。

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